僕のアホ道 #4『福山玉太郎 中学時代 後編』

中学2年生のこと。

僕は、布団の中で目を閉じて、あの時の一瞬の動きを何度も思い返してはこぶしをベッドに叩きつけた。

あれは避けられなかったのか…

「なぜ顔をあの位置に向けてしまったのか」「あの後輩がボールを蹴っていなかったら」「もしあの後輩がいなかったら・・・・」

僕は、目の奥の鈍痛がうずく度に、何度も何度も同じことを思いつぶやき、ベッドにこぶしを何度も何度も叩きつけた。

不安定で不明瞭な視野への苛立ち。

何故自分がこんな思いをしなければならないのかという苛立ち。

僕は、日々の生活を今までどおりに生きるのが、馬鹿馬鹿しいと思うようになっていった。

 

部活はしばらくして復帰した。

ヘディングをする度に目の奥が疼いては視野が狭まった。

何度も網膜に穴が開いては、レーザー凝固の手術を繰り返した。

苛立ちが高まり、その日常生活に刺激を求めるようになった。

 

僕は、塾をさぼっては、仲間とゲームセンターに出入りした。

店のベンチで仲間と酒を飲むようになった。

欲しい物は様々な手段で手に入れた。

真面目だった自分が音を立てて壊れていくのが、自分でもわかった。

最初は遊び半分のつもりが、徐々に感覚がマヒしてエスカレートしていった。

 

中学3年生になり、その行動は学校生活でも表面化するようになった。

僕は、先生から何度も呼び出されては、反抗して何が悪いのかと逆切れしていた。

勉強はまるでやらず、テストの際はほぼ白紙で提出していた。

素行は最悪な状況であった。

ただ一つ、サッカーだけは真面目に続けている状況であった。

3年生の秋、僕は友達の男女数名で遊んでいた時に、同級生の不良グループともめた。

その内の一人とタイマンを張ることになり、不意打ちで一方的にやられた。

身動きとれない僕は、顔面を頭突きで何度も殴打され、血だるまでぐちゃぐちゃになって喧嘩に完敗した。

その時、やらなきゃやられるという感情が芽生えた。

その日を境に、僕は暴力がエスカレートし、家庭内暴力も悪化した。

父と度重なる衝突があり、向き合う父に力で抵抗した。

 

僕にはもう一つの一面があった。

学校では問題児ではあったが、クラスメイトとの仲はとても良かった。

中3になり、僕は「もっと目立ちたい」「みんなを笑わせたい」と思うようになり、テレビの影響で物まねや一芸を練習した。

クラスの友達10人くらい集めては、休み時間にネタを披露していた。

僕は、腹を抱えて笑ってくれる事に快感を覚えた。

練習を重ねてどうしたらみんなが楽しんでくれるか真剣に考えた。

深夜ラジオ番組にも影響を受けて、深夜ラジオ番組にネタを投稿して、ネタを取り上げられて仲間と楽しんだ。

当時の僕のペンネームは、「たんつぼのお金」だった。

カセットテープに自分のモノマネやラジオ番組を真似した内容を録音して友達に聞かせたりしていた。


 

高校を決めなければならない時期に、以前から気になっていた女性と付き合うようになった。

初めての交際だった。

その時、彼女が同じ高校に行きたいと言ってくれた。

そして、彼女はサッカーがそこそこ強い高校を選んでくれた。

二人で毎日一緒にいようと言ってくれた。

その彼女と約5年間付き合い、僕は彼女と初めての恋愛をした。

怪我を通じての絶望
壊れていく日常生活
荒れた学校生活
家族への反抗
お笑いの開花
初恋

来るものに噛みつく凶暴な一面、社交的な明るい一面、一つの物事に真剣に取り組む熱心な一面・・・

色々な一面が顔をだした時期だった。

そんな中学生活も幕を閉じた。

僕は、中学校を卒業し、修徳高校に入学した。

中学3年生15歳までの出来事である。
次のステージに上がり、新たな日々が始まる。