僕がフェイスブックを見なくなったワケ。

2018年11月21日

SNSと鬱


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実はここ最近、ほとんどフェイスブックを見ていません。

見たとしても、自分のところに通知が来た時に開くくらい。

知らない人のために書いておくと、「通知」とは自分のアカウントに対して友達申請や投稿への「いいね」、「コメント」などの反応があった時にアプリアイコンにマークが着くことです。

フェイスブックやめた
その時たまたま、ニュースフィードに上がって来た投稿の上の方を2~3個見るくらいです。
 
 
なぜ見なくなってしまったかという理由の前に、以前の僕はと言うと

「フェイスブック」を中心に「ツイッター」、「インスタグラム」とさまざまなSNSを見ていました。
 
 

フェイスブックを始めた理由

 
なぜかというと、最初は仕事の為。

仕事柄、SNS上の話題を知っておきたいというのが一つ。

それからWEB関係の仕事があるのでSNSの使い方に長けていないといけません。
自分よりお客さんの方がSNSに詳しいというのはマズイですから。
 
 
それと人脈。

リアル世界だけの繋がりでは限界があります。

フェイスブックなら容易に関係が築けるし、接触効果がありますからビジネスには間違いなくプラスです。

ビジネスにおける営業ツールとしてもフェイスブックは必須ですから。
 
フェイスブック離れ  
 
そしていつの頃からか、「友達の数が多い方がいい」とか、「たくさん『いいね』をもらえる人はスゴイ」というような感覚になってきました。

そりゃまあ、せっかく投稿しても「いいね」が5個しかつかないより100個付いた方が嬉しいし、見られているってことになりますから。

だから「いいね」が欲しくていろいろな人に友達申請をしました。
 
 

自己顕示欲を満たすための投稿

 
この頃から仕事のためと言うより、自分の自己顕示欲の為になってきていました。

仕事関係の投稿よりも、プライベートな投稿の方が反応がいいし、さらに言うと面白い投稿や食べ物の写真や動画の方が反応がいいというのが分かり、だんだんそっち方面の投稿に寄っていきました。

それはそれで楽しかったのです。

仕事関係の投稿はハッキリ言って自分が楽しくないし、せめてネットの世界だけでもありのままの自分をさらけ出したかったからです。

どんどんバカな投稿を繰り返し、面白いと言ってもらえる快感と「いいね」をもらえる喜び、そしてたくさん「いいね」をもらえることで人から「スゴイ」と思ってもらえる自己顕示欲。

これを満たすためにはよりたくさんの人の目に自分の投稿を見てもらわなければなりません。
 
 

投稿を見てもらうために

 
フェイスブックは友達との関係性の強さによって投稿の広がりが決まるので、より多くの友達とコミュニケーションをとることが必要です。

そのために、朝起きてから、そして仕事前、休憩中、昼休み、夕食後、就寝前、その他移動中、待ち時間…と

暇さえあればニュースフィードを見て、「いいね」をし「コメント」を残しました。
 
 
人間には返報性という性質があるので、人から「いいね」を貰うと、お返しに「いいね」をしなければならないという気持ちになります。

自分の投稿への「いいね」が欲しいために人の投稿にも積極的に反応していました。

SNSと鬱  
ここまで書くと、Facebookを見なくなった理由はそういった作業に「疲れた」から、いわゆる「SNS疲れ」だと思われるかもしれませんが、

そうではありません。
 
 
理由は何個かあるのですが、

一つは、人の投稿を見るのが苦手、ということです。
 
 

見たい人、見せたい人

 
人間には、人の発信を見たい人と、自分が発信したい人と2種類います。

僕は完全に後者です。

自分の発信を見てもらいたいがために、人の発信に反応していただけなのです。

他人の発信にはハッキリいってほとんど興味がありません。


こういうふうに言うと、「そりゃ誰だってそうだろう」と思う人もいるでしょうけれど、実際はそうではありません。

自分からは全く発信しなくても、人の発信を見たい、という見る専門の人がたくさんいます。

SNSのアクティブユーザーはどちらかというと発信したい側の人が多いですが、
その一方で、反応はしないけれど、ただ見たいだけという人はたくさんいます。

SNSを使ってきた感覚で分かってきました。

「いいね」が付かなくても、面白い情報、有益な情報は「見られている」ということが。
 
 
そう分かってからは人の発信を見るのが苦手なら無理して見る必要はないなと…。

僕の投稿を見たくて、わざわざでも見てくれる人は少なからずいるわけです。
 
 

フェイスブック以外にもあるツール

 
フェイスブックじゃなくても自分からの発信ツールはたくさんあるという事もあります。

このブログもそうですが、毎日のように見てくれている人もいるし、検索流入で飛び込んでくるアクセスもあります。
 
 
さらにYouTubeでの動画配信。

わざわざチャンネル登録してくれた方は、僕の動画配信を見たいと思ってくれているわけです。

フェイスブックのニュースフィードのように気まぐれで見られたり、見られなかったりではなく、ちゃんと配信を受け取ってくれる人たちがいます。
 
 

そして最も大きな理由

 
フェイスブックのニュースフィードに流れる情報があまりにもつまらない…。(と、僕は感じる)

つまらないというのは感性の問題に加えて、情報の質の問題もあります。


「こんな料理食べてます」

「友達と飲み会で盛り上がってます」

「どこどこに旅行に来てます」


といったリア充投稿はSNSの醍醐味なのかもしれませんが、少なくともそれを見る人が有益だと思う情報を載せて欲しいと感じてます。

リア充とSNS  
 
フェイスブックがウザイおじさんおばさんのオモチャと揶揄される理由はそこじゃないでしょうか。

リア充アピールばかりの投稿で中身がないんです。

おいしい料理や、楽しい体験の投稿は大いに結構ですが、そこに店の情報やその体験のリポートを書いてもらえれば、有益な情報になるはずです。

ほとんどのFacebook投稿が、自己顕示欲のためのリア充アピール。

見る人は辟易…。
 
 

まとめ。僕がフェイスブックを見なくなったワケ

 
・人の事に興味がない。
 SNSで自己表現したい人と、そうじゃない人がいます。
 
・自分発信はフェイスブックじゃなくてもいい。
 ブログやユーチューブといった自己表現ツールはたくさんあります。

・フェイスブック上の情報がつまらない(雑すぎる)。
 どうせなら参考になる有益な情報を載せて欲しい。
 
 
ただ、初めて知り会った人や、昔の友達と再び連絡し合うときなど、近況を確認し合うツールとしてフェイスブックはとても優れていると思います。

フェイスブックがつまらなくなったのは、無駄に繋がりを増やしてしまった自分の責任かもしれませんね。
反省しています。