SNSなんて、ただのクソ。

久しぶりに思う事を。

最近、いろいろ思うことがあったので自分と向き合うためにも文章に起こすと、自分の思考が整理できるんです。

このブログはそもそも雑記ブログなので、こういう時に便利ですね。

地域情報サイトのような感じになってますが、本来、大西の個人的ブログなので、SNSなどにシェアするまでもないような雑多なこと書いたりもします。

まず最近自分の考えの及ばないところで意外な波紋を呼んだことがありました。
 
 

フェイスブックアカウントの意味


それは「フェイスブックのアカウントを作り直した」ことです。

フェイスブックなんて、やってない人からしたら単なるSNSツール。

ですが、フェイスブックはちょっと特殊で、基本的には実名、顔写真というのがルールです。

それゆえにリアルをネットに移したような濃い目の繋がりになりがちです。

メンドクサイ、リアルな人間関係もそのまま持ち込まれてしまいます。


僕の考えは、フェイスブックはあくまでただのSNSアプリ。

そこで繋がっていようが、関係が無くなろうが、リアルでの繋がりがあればそれでいい。

SNSなんてゲームみたいなものですから、そこでの繋がりなんてどうでもいいこと。


他にも連絡手段は幾らでもあるし、そこでの関係が終われば、縁が切れてしまうなら所詮それまでの関係。

後生大事にしなければならないようのモノでもありません。

事実、何年も会っていなくても、SNSで繋がっていなくても、会えば昔と変わらず語り合える旧友はたくさんいます。
 
 

コミュニケーションの本質


あくまで本質は互いの現実的な「存在」を認め合い、記憶することであり、スマホ上のアプリなんてどうでもいいことなんです。

一方でフェイスブックは実名と顔写真のアカウント、そしてリアルな関係性が持ち込まれるものだから、そのアプリ上であたかもリアルで接しているかのように頻繁なやりとりが行われ、コミュニケーションを疑似体験し、そこが「リアルよりもリアル」に感じてしまうという本末転倒なことになりがち。

しかもそのコミュニケーションは、公開で行われることも多く、第三者がそのやりとりを見るという異常な状態。

ちょうどフェイスブックに対する自分の中でのテンションが下がり始めた頃、アカウント上の不具合があり、めんどくさいのでアカウントを削除しました。

削除したあとに、やっぱり仕事上フェイスブックで情報を得ることも必要なことに気付き、新たなアカウントを取得し直しました。

当然、それまでのアカウントで繋がっていた、フェイスブック上での「友達」とは繋がりが切れます。

本来は新しく作ったアカウントで再度申請することになるのでしょうが、僕はもうフェイスブックで活発に投稿することはないと思ったのであえてしませんでした。

これがそれまでFacebookでのみ繋がっていた人からすれば、とんでもない裏切り行為らしいのです。

「友達じゃないのか?」
「縁を切られた」
「悲しい…」

いろいろなところからコメントをいただいたり、伝え聞いたりしました。
 
 

フェイスブックすげーな


やっぱりフェイスブックってすごいなと思いました。

たかがアプリのアカウントを取り直しただけで、まるで人間性を疑うかのような言われ方。

まあ何でも捉え方は人それぞれ。

その人にとってはフェイスブックはとても大事なツールなのかもしれません。

事情があって、この世で唯一、社会と繋がりを持てるモノなのかもしれません。

それは逆も然りで、僕にとってはただのSNSツール。

フェイスブックアカウントなんてゲームのアカウントとしか思っていません。

こんなことで人間関係が構築されるとも思ってないし、傷つくこともありません。

ただのバーチャルなんですから。


ちょうどその頃テレビドラマで「SNS」や「ネットニュース」が題材になったドラマがありました。

子どもたちが見ていたので横目で見ていたのですが、たしか「3年A組」とかなんとか。

ストーリーは…
SNSによって自殺に追いやられた生徒を持つ教師が、SNSやネットを活用して、今のネットに溢れる誹謗中傷などに問題提起するというもの。

その最後に主人公の教師がネットでライブ配信をしながら訴えます。

「SNSで投稿する前にもう一度考えてみて欲しい、想像して欲しい。
そのたった一言の投稿がどれだけの人に影響を与えるのか?傷つく人がいるのか?一瞬でもいいから投稿する前に踏みとどまって考えてみて欲しい」

とかなんとか。

それはそれでその通りだと思います。

想像力なさすぎる牛丼屋のバイト君、多すぎですからね。


ですが、本質は

そもそもネットに溢れる情報なんて全てまやかしだという事です。

いや、ネットだけじゃなくて世の中に溢れている情報全てが嘘っぱちです。

情報とは全て人が作りだしたもの。

自分たちの眼に入る時というのは、その情報をいろいろな人が、いろいろな思惑で、いろいろな目的のために、いろいろな手段として形づくり、手を替え、品を替え、変化させて、色付けして伝わってくるもの。

なので自分が実際に目で見て、触れて、感じたことしか真実はありません。

アイドルのスキャンダル写真、LINEのキャプチャ、週刊誌の情報、伝え聞いたウワサ…。

特にSNSなんて、個人個人が自分たちの見せたい部分だけを切り取って、「盛って」、「映え」を狙って、人に「見せる」ために作っている、なんの価値もないもの。
 
 

人に見せるモノはすべてネタ


表に出ていることに真実なんてないし、本心なんてない。

投稿する人が、なんらかの利益を享受するためのもの。

ビジネスに繋げたい、ブランディングに繋げたい、かまって欲しい、モテたい、出会いがほしい、面白いと思われたい、良い人だと思われたい、ブログに誘導したい、動画に誘導したい…

とにかくみんな「自分」のために、利害があってコミュニケーションしているわけです。

そんな場所でのやりとりに本当の関係性なんて何もない。


本当に悩んでいて友達に相談するなら誰もいない所で直接話せばいいし、

仲間との楽しい時間なら人に見せなくても本人たちだけが楽しんでいればいい。

何か怪しい関係性なら誰にも見つからない所で密会するはず。


つまりSNS上に流れる情報なんて全て誰かの意図する「ネタ」なんです。
 
 

本質はどこにあるのか


人は現実社会でも上辺だけ。

自分のために自分の狙いどおりにコトを進めるために日々行動しています。

SNSなんてその最たるもの。

本心で「人のために何かしたい…」などという慈愛に生きる人間なのなら、SNSなんてやらずに一分一秒惜しんで、自分を着飾る服も惜しんで、困っている人のところへ行ってボランティア活動すればいいだけです。

話がそれましたが、

SNSなんてただの自己満足の遊びの世界です。

そんなものに何の価値もない。

そんなものに気持ちを動かされることも、影響されることも、振り回されることも、まるっきり無意味。

くだらないコミュニケーションツールから一歩退いて、本質を見極める力、付けていきましょう。

未分類

Posted by magaobu